平井楳仙・満貴記念館
1889年(明治22年) | 1月5日 京都市に生まれる 本名 秀三 | |
1906年(明治39年) | 京都市立美術工芸学校絵画科卒業 雅号 媒光 西山翆嶂氏らと共に韓国・朝鮮・中国へ写生旅行へ |
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1907年(明治40年) | 新古美術展四等受賞 (夕月) 第一回文展に入選 (宮苑の朝) |
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1908年(明治41年) | 新古美術展五等受賞 (今朝の冬) 第二回文展に入賞 (晩春) |
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1909年(明治42年) | 第三回文展三等賞 (没落) 新古美術展三等十一席受賞 (明恵上人春日に詣づ) |
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1910年(明治43年) | 第四回文展三等賞 (大仏炎上) 京都市立美術工芸学校卒業生 入江波光氏・榊原紫峰氏らによる研究会「桃花会」を結成する |
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1911年(明治44年) | 新古美術展三等六席受賞 (山の池) 第五回文展褒状を受ける (赤つち山) 榊原紫峰氏・野長瀬晩花氏・星野空外氏他・京都大学文学研究者と「バトサヤ」を立ち上げる |
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1912年(明治45年) | 第六回文展三等賞 (こさめの朝・浦づたい) | |
1913年(大正2年) | 大正博覧会三等六席受賞 (船路の夏) | |
1914年(大正3年) | 第八回文展三等賞受賞 (宮苑・遼河の夏) | |
1915年(大正4年) | 第九回文展二等賞受賞 (夏三題) 無鑑査になる |
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1916年(大正5年) | 第十回文展無鑑査出品 (都三十景) 京都美術会・日英美術会受賞 |
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1917年(大正6年) | 第十一回文展入選 (夏) | |
1918年(大正7年) | 第十二回文展入選 (天変地異) | |
1919年(大正8年) | 第一回帝展入選 (日盛り) | |
1920年(大正9年) | 第二回帝展入選 (山陰道濱村) | |
1921年(大正10年) | 第三回帝展入選 (山陰の風景) | |
1922年(大正11年) | 第四回帝展無鑑査出品 (静けき夕) 審査委員になる |
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1924年(大正13年) | 第五回帝展に審査委員として出品(山陰の水郷) 堂本印象氏・福田平八郎氏らと共に審査委員となる |
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1925年(大正14年) | 第六回帝展に審査委員として出品(山雨) | |
1926年(大正15年) | 第七回帝展に審査委員として出品(光明心殿) 聖徳太子奉讃展に出品 (暖かき日) |
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1927年(昭和2年) | 第八回帝展に審査委員として出品(室戸崎驟雨) | |
1928年(昭和3年) | 第九回帝展に無鑑査出品 (塩田) | |
1929年(昭和4年) | 第十回帝展に無鑑査出品 (寒江暮色) | |
1930年(昭和5年) | 第十一回帝展に無鑑査出品 (錦渓静寂) 第二回聖徳太子奉讃展に出品 (夏の朝) |
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1932年(昭和7年) | 第十四回帝展に出品 (秋雨の静にふる朝) 大日本武徳会遊泳術教士号 第10回ロサンゼルス万国オリンピック芸術競技 東山魁夷氏や棟方志功氏らと日本画代表として出場 |
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1934年(昭和9年) | 大礼記念京都美術館展覧会に出品 | |
1941年(昭和16年) | 第四回新文展に無鑑査出品 (加茂茄子) | |
1942年(昭和17年) | 第六回新文展に無鑑査出品 (敵国降伏) | |
1955年(昭和30年) | 古式泳法小堀流「素川会」結成 | |
1957年(昭和32年) | 三笠宮御台臨日本泳法大会にて水画墨竹、模範演技 御前遊などを演じる |
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1969年(昭和44年) | 8月30日 没 享年 80歳 | |
日本泳法大会審判、京都踏水会参与 印名は「楳僊」(「楳仙」) 「某仙」 「某仙紀」 「平生天一長」 「大仏楳仙」 「比羅君日之象」 「平生无一長」 など |
1892年(明治25年) 7月27日 | 京都市に生まれる | |
1972年(昭和47年) 10月7日 | 没 享年 80歳 | |
表千家地方教授 未生流挿花指南 家元師範代 芳華斎満貴甫 |